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戦場のギャルズ・ライフ

世田谷文学館で開催中の岡崎京子展「戦場のガールズ・ライフ」へ行ってきた。

http://www.setabun.or.jp/
http://www.setabun.or.jp/docum……i_2015.pdf

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身近に岡崎京子マニアがいるし、自分自身はぜんぶ作品を読んでいるほどの読者ではないので、作品自体を語るのは憚られるが、単純に行ってよかったと思える展覧会であった。
「原画300点以上」との触れ込みであったが、実際このヴォリュームは圧倒的で見応えがある。もっと小規模なものを想像していたので驚かされた。

実を言うとマンガの原画展示というのにはもともと否定的なほうなのである。それは少年期に見た有名マンガ家の原画展に由来している。正直つまらない、マンガのほうが面白い――そう思って見てがっくりきたのである。そもそもマンガ原稿というのは印刷用の版下であって、それ自体は芸術作品ではない。印刷されてこそのマンガであり、マンガの芸術性である。少年の感想は正しい。
もちろん資料的価値は別であるし、たとえば大友克洋や今敏といった画力で見せることができるマンガ家となると話は違うが、1枚絵として見て面白いマンガというのはそうそうない。
そうした意味で、原画が300点と言われても、見る前はそんなに期待していなかったであるが、あにはからんや、これがよい。
くらもちふさこや大島弓子は、見開き単位でのレイアウトが天才的だが、岡崎京子も明らかにその系譜にいるわけだ。
展示自体もレイアウトやデザインが凝ってるなと思ったら(順路が少々わかりづらくはあるが)公式図録の装幀を手がける祖父江慎によるものだった。

300点もの原画を見て、頭に残ったことがもうひとつ。「ああ、写植だなぁ」ということ。岡崎京子が休筆を余儀なくされた1996年は、写植からDTP(コンピュータ・パブリッシング)への移行期で、雑誌記事からはほとんど写植が消えていたように記憶しているが、マンガ業界はまだまだ写植が使われていたようだ。岡崎作品は写植時代にある。

思えば、岡崎京子とは(一方的に)すれ違いばかりである。
岡崎京子が注目されたきっかけは、橘川幸夫が創刊した投稿誌『ポンプ』だが、彼女の作品が掲載されるようになったころ、ぼくは「ポンプ離れ」をしていたので、その時代をあまり知らない。
80年代半ば、ぼくは橘川幸夫事務所でアルバイトしていたのだが、たびたび遊びに来ていたらしい岡崎京子と顔を合わせたことはない。彼女がよく観にきていたというP-MODELのライヴで1度見かけた程度である。
岡崎京子は創刊当初の『よい子の歌謡曲』にも投稿していたけれど(なん号だっけ?)ぼくがスタッフになったのはもっとあとの話なので、ここでもすれ違っている。そういえば、展覧会で展示さされていた原画にも、松本伊代っぽいアイドルが「よい子のカヨー曲のみなさん」とか言ってる絵があったな。
89年に橘川幸夫事務所のスタッフだったMさんにグループ・インタヴューの原稿を書いてもらった際、彼女と仲のいい岡崎京子にイラストを依頼することになったのだが、交渉はMさんがすべてやってくれたので、ぼくはまったく接触がなかった。おまけにイラストがあがった際、連日の徹夜で死んでいたいたため、受け取りは別の編集者A山くんにお願いしてしまった。なんとも失礼な話であるし残念なニアミスである。

では、読者としてはどうかというと、これがまた完全に「後追い」なのである。もちろんリアルタイムに読むことは読んでいたが、岡崎京子が描く女性はどうにも好きになれなかった。なにかこうイヤな気持ちにさせられるのである。あとから思うにそれこそ彼女の才能なのだけど。激情型であれ放蕩型であれ「落ちていく女のコ」は見たくなかったのかもしれないし、単純にああいう女のコが恐かった。

積極的に読むようになったのはずっと時代がくだって、94年に『ヤングロゼ』に掲載された読み切り「チワワちゃん」からである。『ヤングロゼ』は角川のくせにいい意味で集英社くさく、大島弓子、岩館真理子、小椋冬美といった、狭義のレディース・コミックではない「成長した少女マンガ」が読める貴重な雑誌であり、毎号買っていた。
「チワワちゃん」は、死んだ女のコについて、彼女を断片的に知る周囲の人物たちにそれぞれ異なる視点による記憶から語らせ、ひとりの人物を造形していくという形式の作品であり、突拍子もない物語ではないのだが、なぜだかひどく衝撃を受けた。ここには彼女の発明がたくさん詰まっていたと思う。むかしからの岡崎読者にはどう受け取られた作品なのだろうと思っていたのだが、展覧会の作品解説にも「ひとつの到達点」とか記されていたので(もうちょっと違う表現だったかも)ぼくの感性もひとりよがりではなかったようだ。
ここから遡って単行本を読むようになっていったのだが、同名の短篇集として「チワワちゃん」が単行本化された96年に岡崎京子の作家活動は中絶してしまっている。

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台座には「TO BE CONTINUED」

ところで岡崎京子は80年代の前期と後期の違いについて語り、前期のほうが好きと言っていたらしいが(原典は呼んでいない)ニュー・ウェイヴ好きなら誰しもそう思うのではないか。

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芦花公園の白梅

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芦花公園の紅梅

 

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