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思い出すことなど [8]

16.

「こんさん、しんじゃったの?」
 朝食時に4歳児が問う。
「うん、死んだ」
「もうあえないの?」
「うん、会えない」
「きょうこさんひとりになっちゃったの?」
「うん」
「さびしいね」
「そうだね」
 彼女も「予習」した成果があったようだ。

 2時間ほど仮眠をとり、喪服に着替えて今家へと向かう。昼前には着くので、いつものようにメイルで御用聞きすると、おなかが空いたのでパンを買ってきてほしいとのこと。メイルのやりとりだけ抜き出せば、これまでの日々と変わりない。
 誰も口には出さなかったけど、たぶんみなひとりになったあとの京子さんを心配したはずだ。原さんも早々に駆けつけていた。

 葬儀社の搬送車が16時くらいに迎えに来るが、それまでは取り立ててすることはない。ホテルに泊まった彼の両親は兄が面倒を見ている。
 彼の死の公式発表をいつにするかについて再び3人で話した。
 すでに情報はネットを駆けめぐり、世界の果てまで行きわたっているかに思えた。マッドハウスにも知人やマスコミから問い合わせが入り始めているらしい。ここにも新聞やTVから問い合わせが入ってくるので、公式発表があるまで待ってほしいと答えておく。もう伏せているのは不可能だ。
 それでも、明日の葬儀が終わるまでは公式発表はせずにおくということもできなくはなかったが、今家に問い合わせが殺到しても困るし、憶測で誤った情報が流布されるのも不愉快だった。今敏公式サイトではマッドハウス公式サイトと歩調を合わせて14時に発表することに決めた。

 文案を考え、3人で回し読みする。すでに朝から公式サイトにはつながりづらい状況だったが、昼過ぎてからはアップロードしようにもアクセスが困難になっていた。なん度もなん度もリロードを繰り返し、ようやくニュースを投稿。原稿を預かっていた彼の最後のウェブログ「さようなら」を掲載する。8月6日付の第1稿だったのに結局、改稿されることはなかった。
 ああこれでひと安心と思いきや、マッドハウスから電話。8月24日が6月24日になっているという。わたしが頭で「6時20分」を繰り返していためにミスタイプしてしまったのだろうが、顔を見合わせて3人で笑った。さらにサイトにアクセスしにくくなっているので、焦りながら修正する。
 
 彼の死をめぐるネットの情報はひどいものだった。べつだん箝口令を敷いていたわけではないし、そういう立場になはい。一次情報を知る者がどこでどう発言しようとそれは自由である。抑えきれない気持ちもあるだろう。ファンが心配して情報を欲しがるのもよくわかる。理解不能だったのは、二次情報を訳知り顔で広めるひとびとである。
 マスコミが先を争って書き立てるならまだしも、そういうわけでもないのに、なぜに自慢気に伝聞情報を披露したがるのか。公式発表されていない以上はなんらかの意図があると考えて自重するのがごく普通の社会人としての常識的態度ではないか。自分の立場を主張したいだけなのかもしれないし、単に幼稚なだけかもしれない。なにも考えない条件反射的な言動なのかもしれなかった。
 さらにひどいのがニュース・サイトというやつだ。もともとSNSの限定公開情報のリークとして広まったTweetを拾い、それをニュース・ソースと称した記事がニュース・サイトに掲載される。さらにその記事がさまざまなサイトに転載され、海外アニメーション専門サイトの報も加わっての伝言ゲーム。
 大笑いなのはいずれのニュースも享年が間違っていたこと。ジャーナリスト気取りいでいながら、故人の生年月日を調べるという最低限の手間すら惜しみ、ただC&Pするのみ。かくして同じ間違いを含んだ同じ文面によって情報が拡大再生産されていく。
 新聞にしろTVにしろ、旧メディアからはコンタクトがあったし、礼を尽くした電話取材を受けた。しかるにニュース・サイトとやらは日ごろ旧メディアを批判していながら、旧メディアに劣る体たらく。取材の努力もしなければ、なにくわぬ顔で後日修正する始末。まあ、こちらも死亡日の記載を間違えたくらいだから大きなことは言えないが。

 迎えのクルマが来て、居間の窓から棺を運び出す。棺の彼と一緒に斎場へ。1泊入院のあと搬送車に同乗したことを思い出す。
 あれは外出というよりただの移動だったが、ほんとうの意味での最後の外出は、梅雨の晴れ間に京子さんが押す車椅子に乗ってふたりで夜道を散歩したときだったという。玄関にはスロープも設置したのだけど、その後は使われることがなかった。

 寺の境内ではいちばん小さな斎場だったが、それでもたった8人の参列者には広かった。
 菊や百合など白い花に囲まれた大きな棺はやけに存在感がある。

 僧侶に挨拶へ行く。ひょろひょろとしていかにも頼りなさげで声が小さく気の小さそうな初老の僧侶である。
 中学や高校時代の同級生から電話が入る。わざわざ実家に携帯電話の番号をきいて連絡してきたらしい。さらには、カメラマンから電話。お悔やみかと思ったら、打ち合わせの約束をしていたのをすっかり忘れていたのだった。平謝り。

 18時より読経が始まる。
 意外と経を読む声は大きかったが、リズム感が悪い。彼の兄が手で「正しい」リズムを刻む。
 悲しみは波のように周期的に押し寄せてくる。波に呑まれると収拾がつかなくなりそうなので、なるべく彼のことをリアルに思い浮かべないようにする。最前列の京子さんもそんなふうだったが、時折耐えかねたように泣く。
 読経後には僧侶から読み上げた経典についての法話。「ずいぶんと自由に生きた方のようですね」の言葉につい笑いがこぼれる。

 焼香を済ませ斎場で食事。彼の母が中心となって昔話に花が咲く。彼の学生時代、幼少時代、さらには両親の結婚前の話にまで遡る。ギタリストとアニメーション監督を育てた偉大な両親が繰り広げる超絶ハイ・ブロウな夫婦漫才にツッコミを入れたそうな遺影であった。彼の得意としたブラック・ジョークのルーツがここにある。
「敏の歳が46でも47でも、いーんじゃないの。私の歳を間違われたらそりゃ怒るけどね」

 梅雨明け以来ほぼ毎晩が熱帯夜で、この夜も27度を下回りそうにない。
 表へ出てみると、寺の門の上に浮かぶ満月が美しい。
 しばらく佇んで眺めていた。

2010.08.25 21:48

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