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Blue Limbo

平沢進
BLUE LIMBO
TESLAKITE(ケイオスユニオン)
CHTE-0025
全10曲 47:21
2003年2月13日発売
3150円(税込)



01.祖父なる風
02.RIDE THE BLUE LIMBO
03.ツオルコフスキー・クレーターの無口な門
04.CAMBODIAN LIMBO
05.帆船108
06.狙撃手
07.LIMBO-54
08.HALO
09.高貴な城
10.サトワン暦8869年


→INFORMATION
→MP3

 

殺戮はびこる満身創痍のさんざんな惑星LIMBO
そこに棲む疚しき人々の世界に蒔かれた豊かさの種子


●爽快、溌剌、新鮮、颯爽——そんな言葉が真っ先に浮かぶ。
まるでデビュー・アルバムのように——というのは言い過ぎだが、この自由さはP-MODELからソロになった時のようでもある。
痛快に情動を刺戟する音楽だ。

●『BLUE LIMBO』は、オリジナルとしては9作目、2年4か月振りのアルバムになる。
また、Hirasawa Energy Worksをスタートさせて以来、初のオリジナル・アルバムでもあるが、すでにベスト・アルバムやサウンド・トラック、P-MODELのCDセットなどの 制作を通じでソーラー発電システムとのつきあいにもすっかり慣れてしまったようだ。

●前作『賢者のプロペラ』のリリース時、次のように書いた。
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☆初期3部作〜『時空の水』『サイエンスの幽霊』『ヴァーチュアル・ラビット』
☆過渡期〜『オーロラ』
☆タイ3部作〜『Sim City』『セイレーン』『救済の技法』
この流れでいくと今回の『賢者のプロペラ』は“第2過渡期”に位置するアルバムになるのではないか。
『オーロラ』とは違ってコンセプト・アルバムではあるが、これ1作で完結した作品であり、ここから“ミャンマー3部作”や“錬金術姉妹編”が始まるようには思えない。
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予想通りに『賢者のプロペラ』の路線は直接継承されることなく 『BLUE LIMBO』は、今までの流れとは違った新しい平沢世界を提示する作品になった。
しかし、意外だったのは、この「軽やかさ」「のびやかさ」だ。

●『BLUE LIMBO』は、20010911の事件、それ以降の世界情勢に触発されたアルバムであり、そうした作品になることは事件後の平沢進の言動からも容易に考えられたことである。
そのため、新作はもっと鬱屈した批評的な音楽か、パンキッシュでハードなサウンドになるのでは、と思っていた。
だが、平沢進はそんな単純ではなかった。
キャリア25年のプロ・ミュージシャンであり、生来の天の邪鬼である。
晴れあがった青空のように爽快なサウンドで地獄絵図を歌うくらいは簡単にやっのける人である。
(実際にそんな曲があるわけではないが)
屈折しているようでいてストレート、ストレートなようでいてよじれまくっている。

●20010911以降の世界情勢に関しては簡単に述べられるものではないので、ここでは割愛する。
ただ、ひとつだけ記しておくと、湾岸戦争ではさほど表だって反応しなかった文化人やアーティストが合州国のアフガニスタン攻撃に鋭く反応したのは興味深 かった。狭義の理想主義的平和主義者だけでなく、戦争一般を否定しているわけではない現実派や保守主義者の中にすら、あの戦争やこれから起こるかもしれな い対イラク戦争に反対する者が少なくない。
その意味で『ポプリ』(81年)以降、社会に対して直対応的な音楽は敢えて作らないというスタンスを貫いてきた平沢進が「音楽にしないわけにはいかなかった」と述べているのも非常によくわかる。
そうした衝動を掻きたて、反射的に行動を起こさせるほどの著しい不義・欺瞞が20010911以降の世界には満ち満ちているのだ。

●「蛮行と戦争の恐怖で制御される惑星BLUE LIMBO」というSF的・寓話的シチュエーション設定がなされてはいるが、もちろん今の地球のことだ。

陸を焼く蛮人の矢に 神聖の名は書かれ (CAMBODIAN LIMBO)
見渡すかぎり真実の墓地 (狙撃手)
恐れるフリ さあ冷ややかに観劇を (狙撃手)
地の果ての母を撃つ音 (高貴な城)
地の果ての子らを焼く音 (高貴な城)

仕掛けなしではこれらの言葉はあまりに生々しすぎる。平沢進は「反戦ロック歌手」ではない(笑)。虚構性をほどこすことで、生々しさを殺ぎ落としてクッション的効果を狙うのと同時に、表現としてのリアリティを逆に高めている。
戦争を素材にしたアルバムでありながら結局、平沢の音楽の向かう先は「物的現実」ではなく「心的現実」なのだ。というか物的現実に思えるものも心的現実の 一部であり、たとえばTVのスクリーンの映像も心のスクリーンに映る現実のひとつなのである。この作品においても、他の平沢作品同様に、ユング的な意味で のファンタジーが展開されていると言ってもいい。

●「limbo(リンボ)」は日本語では「辺獄」と訳され、一般にはカトリック用語である。
カトリックでは死後の世界を「地獄」「天国」「辺獄」「幼児の辺獄」「煉獄」と5分し、辺獄(limbo)はキリスト以前に生まれた者、異教徒、幼児など洗礼を受けていない死者が行く場所、天国と地獄の中間的場所とされるらしい。
転じて、忘れ去られた者(物)や無用な者(物)が打ち捨てられる場所、異端の吹き溜まりという意味もあるらしい。
要は、人類という救いがたいダメダメな生物が巣くう地球は星まるごとリンボじゃないか、というのが「惑星BLUE LIMBO」の意味なのだ。
その一方で「異端者」としての誇りを持つ平沢は、リンボという概念をポジティヴに捉えて使っている部分もある。そこがまた、ねじれた平沢的思考らしいところでもある。

●初期P-MODEL以来とも言える直截性は、作品コンセプトや歌詞の面だけだはない。
全体に音楽としての「肉体性」が高いサウンドになっている。手弾きの楽器や生音が耳につくというだけでなく、曲の構成自体に躍動感があるのだ。
前作『賢者のプロペラ』が「徹底的に地味」を狙った作品であったことや3年前にP-MODELを「培養」(活動休止)したことも関係があるのかもしれない が、そう単純に前作への反動から派手なアルバムになったというわけでも、大仰な作風に回帰したというわけではなさそうだ。当然といえば当然だが、前作で 培った新しい手法は今作でもしっかり継承されているし、そのうえで新しい試みがなされている。
たとえば「CAMBODIAN LIMBO」「LIMBO-54」の地味なようでいて徐々に高揚するような独特なグルーヴ感は従来の平沢サウンドにはなかったものだ。盛り上がりそうでい て盛り上がりきる直前で肩すかしを食わせるような「寸止め」技法は前作で培ったものだが、今回はそれともまた違っていて、ダイナミックな展開とスタティッ クな展開が同時進行しているような奇妙なメロディや曲構成が随所にある。

●前作のミャンマーに続き、今作ではカンボジアの音楽がサンプリングされている。
それ自体は新しい試みではないし、世界各国音楽巡りが平沢の目的なわけではないけれども、こうしたアジアン・テイストはギターやシンセサイザーのようにすでに平沢サウンドの一部になっている。

●久しぶりに過半数の曲でギターを弾いているのも出色。
よくシンセサイザーの音は「抽象的」と言われるが、それに対比して言うならばギター・サウンドは非常に「具象的」である。だからこそ、生々しさや肉体性を 嫌う平沢は常に(なんとデビュー時から)ギターに関しては消極的な発言をしているのだろうが、このアルバムには一種の具象性が必要だったのだ。
シンセサイザーでもサンプラーでもなく、かつ、平沢が自分で演奏できる「具象的」サウンドの楽器といえば、ギターしかない。
といはいえ、フツーにギターを弾くのはイヤという平沢であるから、自分でも2度とコピーできないような妙なフレーズばかりだし、あまっさえただでさえ変態的なフレーズを切り刻んで編集までしている。
曲作りに影響を与えるほどのものではなかったらしいが、今作では平沢にしては珍しくデジタル・ギター・エフェクタやヴァーチュアル・ギターといった最近(最新ではない)の機材も使われ、ギターらしさを軽減するにひと役買っている。

●平沢作品はまたここから大きな別な流れを作り出しそうだ。
初期3部作のように、さまざまな手品——異なる波の干渉で生まれたモアレ像の音楽——を立て続けに見せてくれそうな予感がする。

●以下はアルバム・コンセプトにあまりしばられない各曲の印象雑感である。

■01.祖父なる風
オープニングに相応しく神々しい讃美歌風コーラスで始まるナンバー。
清々しさを感じさせつつも、ムックリのような振動音、巨大マシンのカムが回るような躍動音といったシンセの音、さらには掃除機のホースを尺八かサンポーニャのように吹いた音までからみ、アンデス、アジア、ヨーロッパが溶け込んだ平沢らしい無国籍サウンド。

■02.RIDE THE BLUE LIMBO
アクロバティックなギター・フレーズをさらに切り刻んで編集したサウンドが左右のチャンネルを跳梁跋扈し、その上をメロディアスなヴァーカルが伸びやかに這う。
どこにでもある言葉を組み合わせて突き刺さる詞を紡ぐ。自転車の速さで疾走しつつ泣けてくる。
フェイド・アウトじゃないところがまたにくい。

■03.ツオルコフスキー・クレーターの無口な門
ピチカートを多用したストリングスが心地いい「Moon Plant-III」といった趣の曲。
しかしながら歌われるのは月の裏側にある謎多きクレーター。
月は南極のように「どこの国のものでもない土地」と思われがちだが「一番乗り」した者が既得権益の主張をするのは世の常。
自国の利益となる情報は漏らさないものだ。

■04.CAMBODIAN LIMBO
詞曲ともにカンボジアでフィールドワークした成果のひとつ。
平沢流ジャングルなどと言えば誤解を生みそうだが、老賢者がうめき、メロトロンのごときシンセサイザーが空間を埋め、ファルセットとギターが切り裂く断歴史サウンド。
周辺諸国や西洋諸国に蹂躙されたうえに同国人で殺し合ったカンボジア。
しかしながら未だにクメル・ルージュを支持する農民もいる。
根は深い。

■05.帆船108
キース・エマーソンばりに70年代テイストあふれるシンセが奏でるマーチに乗って粒子の海をいく帆船。
こういう音はP-MODEL時代を通じて「禁じ手」だったはずだが、平沢にはもはやそうした自己拘束もないのか。
悲しい決意を秘めつつなぜか心は軽い。

■06.狙撃手
マンドレイクを彷彿とさせるハードかつヘヴィかつ変態的なギターで始まりながらも、口笛を吹いて軽やかに家路につくアンビバレンツ。
戦場が劇場になったのはヴェトナム戦争からだろうが、もはや戦場には悪ノリとネタバレ、内輪ウケしか芸のない三文役者しかいない。
しかしながら未だに「スタッフ笑い」がむなしくこだまするヴァラエティ番組の視聴率は高いのだ。

■07.LIMBO-54
オルゴールのような音色でかわいいインストゥルメンタルが始まるかと思いきやゴシック・ホラーの聖歌隊。
重たいビートでロバート・フリップ・セッティングのギターが唸るかと思えば爽やかなスキャットが入る、不気味なナンバー。

■08.Halo
カンボジアン・フィールドワーク女性版。
打ち捨てられた残骸が光り輝く様を見たのか。
キリング・フィールドで見上げた月の光背か。
ちなみに月明かりの廃墟でチークダンスへ誘うのは洗濯板ではなくアルミの椅子の蛇腹。

■09.高貴な城
弦とパーカッションが派手にたたみ込む平沢史上最もドラマティックなワルツ。
地の果て、空の果て、時の果てまでも広がる叫び。
「疚しく光るマシン」というフレーズがイマジネーションを掻きたてる。
壮大なスペース・オペラ、もしくは騎馬軍団が駆け抜ける時代劇、いや『千年女優』番外篇か。
どのような妄想も許容する。

■10.サトワン暦8869年
ラストはシタール(には聞こえない)っぽいエフェクトをかけたギターが印象的なナンバー。
「サトワン暦8869年」の謎はインタラクティヴ・ライヴで明らかになる、予定。
個人的には諸星大二郎の『暗黒神話』のラスト近くのシーンを思い出す。

高橋かしこ(2003.01.31/02.04更新)

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